『置かれた場所で咲きなさい』
この本を読んで、最近の自分の振る舞いを猛省しました…
キリスト教の方なので、「神」という表現は出てきますが、この考え方は生きる上で持っておくと良い価値観の一つだと思います。
環境は選べない
環境は選べるようで選べません。
希望する会社に入ったからといって、自分が理想とする環境も手に入るかというとそうでもない。
人は選べませんし、部署も選べない可能性が高い。
うちの会社なんて、営業希望で入っても普通に内勤の事務にされたりしますからね!
そんなものです。
私は今まで、環境が自分の満足のいくレベルでなくなった場合、「逃げる」という選択をとってきました。
今の仕事も嫌になってしまったので、もうすぐ辞めるつもりで一生懸命働いていました。
なので、半ばヤケクソ。
嫌なことから逃げるは正解か?
私は、逃げることにポジティブさを感じる人間でした。
合い言葉は、「嫌だったら逃げろ」。笑
私がこうなったのは、周りには(私を含め)「イヤだな~」と愚痴って同じ環境に居座り続ける人が多かったからです。
そういう愚痴を聞き続けてきた私は、もう聞くのが嫌になってきて、それで逃げるという選択肢を積極的に使うようになりました。
私のここ最近の努力は、いつか逃げる日のため。
後腐れなく逃げるための一つの手段でしかありませんでした。
しかし、この本を読んで猛省。
もうダメダメですね、私。
そもそも100%望んだ環境なんて実現可能なのか
そもそも理想の環境に身を置けること自体が奇跡だと思います。
何かしらのマイナス要素はあるはず…なんですよね。
「いい人ばかり」と言われる職場でも、1人は苦手な人がいたりしませんか。
どんな環境に身を置いても、結局は同じパターンになる。
環境を変えたところで、考え方が変わってなかったら、また逃げますよね。
それならば、今いる環境で頑張った方が何百倍も良い。
まさに、置かれた場所で咲くということ。
パワハラとかいじめとか、攻撃を受けている場合は逃げるべきですが、なんとなく「イヤだな」という漠然とした感情の場合は一度「咲くこと」を目指してみる方がいいかもしれません。
逃げるなら、咲いてから逃げる。