私は非常に面倒くさがりな性格なのですが、人からは几帳面だと思われることが多いです。
それは、面倒やストレスに感じることに関しては、しっかりと段取りして行動しているからだと思います。
昔は何でもかんでも大雑把にやって、後でミスったところをカバーする…という感じで行動していました。
しかし、自分がやらかしたことのカバーって、結局は同じことを2回繰り返しているのと同じ。
これが、かえって無駄だということに気付いたのは結構大人になってからです…。
面倒なことこそ効率化を
やらかしたときに、後々面倒なことになりそうなことに関しては、前もって計画を立てるか、効率化して臨んでいます。
ここはテキトーな私でも、無駄を許さない!
「前もって準備する面倒くささ」 < 「後でミスをカバーする面倒くささ」です。
・お金の管理→赤字になったときの金策が面倒だから、計画的を立てる
・小まめな掃除→汚れてから掃除するのが面倒だから、気付いたら掃除
・買い物に行くときのルート→何回も外出するのが面倒だから、1回の外出で済むよう完璧なルートを組む
最近では、「うわ~面倒だな~」と思うことがあったら、放置したら後々どうなるかを想像するようにしています。
そうしたら、行動に移すことが苦ではなくなってきました。
とはいえ、日常生活でのすべてのことを効率化しているわけではなく、放置しても問題なさそうなことに関しては可能な限り先延ばししたりします。
例えば、(すごく些細なことかもしれませんが…)皿洗いとか。
皿洗いが結構好きなので、しこたま溜め込んで一気に洗うのを地味に楽しんでいたりします。
少しでも楽しめることに関しては、あまり効率化しようとはしていません。
ここでバランスが取れているのかもしれません。
「面倒」という言動力
なんだかんだ言って、「面倒くさいな~」って気持ちが、私が行動する原動力になっているのは確か。
結局、面倒なことを避けていると、もっと面倒なことになっていくんですよね。
逃げ続けていると、どんどん大きくなってのしかかってくる。
だからこそ、面倒なことほど先に片づけるべきですね…。
おかげさまで、新しいサービスや制度を積極的に活用するようになりましたし、情報収集が苦ではなくなりました。
いつの間にか、面倒くさがりを脱却してまめな人になれたかも…?