「そのうち誰かがどうにかしてくれるはず」
そう考えてやるべきことを放置したり、他人に押し付けたりする人ほど、人生が上手くいっていない…そんな印象を受けます。
「誰かがやるからいいや」
特に会社や学校など集団で過ごす場所だと、こう考えてしまう人が多いと思います。
もちろん、わたし自身もそう考えることがあります。
「誰かがやるからいいや」
これは物事の大小に関係なく起こります。
例えば、床にゴミが落ちているとか、シュレッダーのゴミが満タンで動かないとか、コピー機がトナー切れでピーピー言ってる…とか。
こういうときに、自分で動きますか?
下っ端がやればいいとか、事務員がやればいいとか、そう考えて無視する人は赤信号かなと。
(もちろん忙しさとか、役割とかを言い出すとキリがないのでここでは省略します。)
ポジションに関係なく、動く人は動くんですよね。
そういう人に限って、信頼も大きかったり、できる人だったりします。
「ありがとう」を求めない
些細な行動が後々の大きな信頼を生むことになるんだなと、私自身も実感しています。
昔は、良いことをするときって、自己アピールとか「ありがとう」の言葉が欲しくて、これ見よがしにやっていました。
教頭先生が見ているところでゴミを拾ってゴミ箱にいれたりね…(承認欲求のすごいしたたかな子ども時代)。
しかし、色々とありまして、人が見ていても見てなくてもちゃんと生きる方へシフトチェンジしました。
すると不思議なことにアピールしていたときよりも、感謝されることが増えました。
見ている人は、ちゃんと見ているものです。
雑用を楽しくできる人が最強
「雑用がイヤだ」と嘆く人は結構多いです。もと重要な仕事をしたい…と。
しかし、雑用も必要な作業であることに変わりはありません。
大きいことを成すにも、小さい雑用をこなさないと終わらないのです。雑用も重要なんですよね。
いっとき、自称・最強の雑用係だった時期があります。
事務員の方がいない、小さな事務所に入ったのがきっかけ。
事務所の管理となると、多くの雑用がついてまわります。
備品発注、ごみ出し、備品の管理、管理会社とのやりとり……などなど。挙げるとキリがありません。
最初は「やる人がいないから」とイヤイヤやっていた部分があったのですが、途中で雑用に目覚め、燃えていました。
それで感じたのは、誰でも出来るような作業は、周囲に丸投げの人が多いです。
わからないからやらないのか、やりたくないからやらないのかはわかりません。
しかし、その中で率先して動ける人がいたらどうでしょうか。
自発的に行動できることって、すごく強みになると思うのです。
最終的になんでもかんでも聞かれる、字引のような存在になりました。
結局、すべて「自分事」として捉えて行動することが、周囲だけでなく自分にも良い影響を与えるものだと思います。
「これは自分がやるべきことではない」と決めつけて、他人に押し付けても信頼を失うだけです。