電気もないテレビもない自然の中で暮らす人々は本当に幸せなのか?と本気で考えたことがあります。
テレビもラジオもなくベコ(牛)がうらうら歩いているような…
自分達で狩りをして、自分達の先祖から代々伝わってきたしきたりで生きている人々。
彼らは幸せなのか?
私はずっと、日本というインフラが整って、物も食べ物も豊富で、デジタル化が進んだ便利な社会にいることは、それだけで幸せなことだと思っていました。
しかし、スマホ依存になりかけて思ったのは、必ずしも便利で常に情報に晒されていることが幸せに直結するわけではないということ。
例えば、YouTubeで自分のライフスタイルを映像にしている方がいらっしゃるじゃないですか。
毎日、自分や家族のために手の込んだ料理を作ったり、リラックスタイムのために手作りのお菓子とハーブティーを用意したり、手芸したり、お出掛けしたり…
そういう動画(VLOGって言うんですか)を見て思ったのですが、
誰もスマホいじっていないんですよ。
おまけにやっていること不便だし。
充実、シック、丁寧な暮らしとデジタル化って馴染まない。
もちろんゴリゴリにデジタル化している方もいますが、YouTubeで動画になっているのは結構アナログな感じが多い印象。
例えば、ティータイムのお菓子。
コンビニで買えば秒なのに、あえて手作りする。
便利さでなく、あえて手が掛かる方を選ぶ。
このあえて不便な方を選べるという余裕に、贅沢さを感じるのではないかなと。
そういう丁寧な暮らしをしている動画に惹かれてしまうのは、無意識でどこかに羨ましさを感じている証拠かなと。
時間があることが一番贅沢なんですよね。
私もですが、便利さや時短を追い求めるのって、それだけ時間の余裕が無いということ。
忙しいことって別に何の価値もないのではないかと思うようになりました。
このことに気付いてからは、不便さって別に不幸でもなんでもないなと。
むしろ、そういうあえて不便なことを選んで楽しめる余裕がすんごい贅沢。
1日中パソコンの前でカタカタやって自分がやっていないことで怒られているよりも、村のみんなと網とナタを持って木の高い所にあるハチミツを収穫する方に魅力を感じます。
そう思うのも、隣の芝が青く見えているだけなのかもしれませんが。
ただ、便利だから幸せ、不便なのが不幸というわけではありませんよね。
幸せは心の持ちようと言いますが、そもそも時間的な余裕があることが前提なのではないかと思いました。
なので時短!時短!時短!
時短しまくって余裕を手に入れるのだ…