部屋着=どうでもいい服ではなくなった今の時代。
これは完全にジェラートピケのせいだと思ってます。
部屋着という誰に見られるもんでもない、恋人や友人、家族などプライベートで深く関わる人しか見ない姿。
それを可愛くするっていうのって究極のオシャレではないかと。
かくいうワタクシはですね、家族から「パジャマ族」揶揄されるくらい、どーでもいいものを着る派の人間でして、
一瞬見ただけでパジャマだとわかる、ださいパジャマや、中学時代の体操服、ゴミ寸前のボロボロヨレヨレのTシャツなどを着ておりました。
しかし、母親がぼそっと言った「せめて宅急便さんに会っても恥ずかしくないものを着た方が良いんじゃない…」というアドバイスを受け入れ、まともなものを着るように。
実家だと割りとまともな感じだったんですが、それが解放されたのが一人暮らしを始めたとき。
「誰も見てない!」というある種の自由を手に入れたわたしは、半裸生活に突入。
いやー楽!
料理のときの油ハネには要注意ですが、解放感がハンパじゃないです。
来客もないので、良かったんですが。
ふと、人に見せられる生活じゃないなーと改心。
というのも、どこかが大雑把になると、それに付随して色んな部分が大雑把になっていくんですよね。
しかも、そういう日常の雑な仕草って無意識に出てしまう。
わたしがはっとしたのは、階段を外またでドスドス昇っていたときでしょうか。
自分で自分に引きましたね。
部屋着なんて誰も見ていないし、すごく些細なことなんだけれども、小さいところから丁寧に暮らすことを積み上げていくことが必要だと思うのです。
丁寧な暮らしっていうのは「誰に見られても大丈夫な暮らし」。
丁寧に作られたもので、目も当てられないようなものって無いと思うんですよ。
こだわりが感じられて、それだけで洗練された雰囲気をまとってしまう。
不思議ときちんとした暮らしをすると、心も整ってくるもの。
しかし、一回怠けるとどんどん堕落していきますけどね…わたしみたいに。
やはり暮らしというのは毎日のことだし、他人の目が無いことも多いのでサボってしまう気持ちはわかる。
しかしですね、そこに少し意識を向けるだけで大きく変わっていくものなんですね。
まずは部屋着に少しこだわってみるところから。
ちょっとしたことなのですが、自分の意識や心持ちは大きく変わります。